ペリーが驚愕した日本の技術
嘉永6(1853)年、黒船を率いて日本に開国を迫ったぺリー提督は、
幕府との交渉のかたわら江戸湾沿岸の測量に精を出した。
日本と開戦した場合に備え、地形を把握するのが狙いだった。
3隻の船を使い、当時世界最先端だった三角点測量を繰り返した。
そして意外な事実に気づく。
測量結果と、携えていた日本の地図がまったく同じだったのだ。
この地図を作成したのは、ご存じ伊能忠敬。
地図をつくるには数学や天体観測技術、地球の自転に対する理解など先端知識が必要。
このため、ペリーは正確な地図がつくれるのは文明の進んだ西洋の数カ国に限られると思っていた。 ところが、予想に反して日本の技術レベルが高水準なことに驚き、測量を中止して引き揚げてしまった。
このことがやがて「ペリーの艦隊と戦端を開かず、無事に(明治)維新を行う原動力となった」(日本人の育ての知恵、PHP文庫)とされる。
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日本の技術力が素晴らしい。
日本の先人達が素晴らしい。
米国は今でも日本に戦闘機を作らせない。
日本の技術力やその進化を恐れている証拠。