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独り言

第2極の台頭:屋山太郎

日本維新の会は、大阪で開いた初の党大会で共同代表の前東京都知事石原慎太郎衆院議員と

橋下徹大阪市長がインターネット中継対談で、党綱領の第1にうたった憲法改正を熱く語り合った。

次期参院選では、「憲法を変えていく勢力が3分の2を形成することも重要なテーマだ」と述べた。

長年、野党がまとってきた非武装、護憲という衣装が、ものの見事に脱ぎ捨てられたのである。

これが10年も前だったら、橋下氏らは常軌を逸した集団といわれたに違いない。

現に、石原氏などは異質の人物と思われてきた。  

 

時代の急激な変化を象徴するのが、民主党の盛衰である。  

民主党政権の致命的な失敗は、選挙で公約した官僚制度改革に一切手をつけず、

「しない」と公約した消費税の引き上げを決定したこと。

増税を覚悟していた国民も多くが、「その前にやることがあるだろう」と反発したのは当然。

労組の連合と組んでいたのでは公務員改革などはできない、と政治の素人も民主党を見限った。  

それ以上の打撃は中国寄り路線が引き起こした恐怖感。  

鳩山由紀夫首相は「中国と仲良くするため米国とは距離を取らせていただく」と述べ、

普天間の代替飛行場は「国外、少なくとも県外」と断言した。

小沢一郎氏(時の党幹事長)は600人の訪中団を引き連れて“朝貢外交”を展開し、

「日本周辺には第7艦隊だけで十分」と言ってのけた。  

冷戦中には自民党内でも語られていた日米中の正三角形外交論は木っ端みじんに砕かれた。

軍事大国化した中国を前にして土下座外交は全く意味がないことを国民は知ったのである。

 

 

小選挙区制度は政権交代のある政治を目指したもので、15年目にしてそれが実現した。

だが、政権をとった民主党は2012年の衆院選で見るも無残な敗北を喫した。

負けっぷりは民主党が実は政権政党の資格がなかったことを物語る。  

第1に、この党には党綱領といえるものがなかった。

政党は誰にも分かる理想を大目標に据え、同志が集うものである。

小沢一郎氏は「公約を実現していない」と当時の野田佳彦政権を攻撃して離党し、

国民の生活が第一」を結成した。しかし、最初に天下り根絶の公約を破ったのは小沢氏の方だ。

野田攻撃は権力奪取の手段にすぎなかった。  

その小沢氏は、先の衆院選に際し全野党を糾合するため、「脱原発」「TPP反対」を掲げた。

理想があってそこに進もうというのではなく相手の弱点を探して皆で叩くというのは、

政争の手段にしても下策というほかない。

 

かつて日本の鰹節工場もあった尖閣諸島を「明の時代からオレのものだ」と言い募り、

武力で威嚇する中国が出現したのでは、日本の憲法は役立たずだろう。  

窃盗団に盗まれて韓国の寺に納まっていた対馬の寺の仏像を「返せ」と言う日本の住職に、

韓国の裁判所は返さなくていいと言う。

これは国連教育科学文化機関の文化財不法輸出入等禁止条約に明白に違反する。

 

北朝鮮の最近の暴走を見るにつけても、われわれ日本人が学ばなければならないのは、

聖徳太子が実践した中華圏への対等外交の教えか、福沢諭吉の脱亜論だ。

民主党政権政党として欠けていたのは歴史観と国家観である。  

日本維新の会は衆院の議席でいえば、「第3極」である。

だが、参院での維新とみんなの党との候補者調整をみれば、明らかに両党が「第2極」を形成し、

さらに伸張しつつある形勢である。  

民主党は参院選で反自民の統一候補擁立を模索していたが、

勝つためには手段を選ばない発想では政党の基盤は固まらない。  

時代の変化に対応できない政党も滅びる。

冷戦期、護憲を旗印に衆院議席を140まで伸ばした社会党社民党となり今や、2議席。

それでも、党首の福島瑞穂参院議員は「護憲を叫ぶことに意味がある」と言う。これは宗教。

民主党にも、維新は安倍晋三首相の補完勢力だという非難がある。

政策目標が同じなら協力して実現するのが真っ当な政党だ。

安倍氏が大阪維新の会に注目しだしたのは、橋下氏と松井一郎幹事長の教育改革ゆえだ。

橋下氏は大阪府知事、市長として府、市に教育基本条例、職員基本条例を制定した。

これらの条例は、日教組自治労の政治活動を封じ込める狙いで、

安倍氏は同様の趣旨を国会で立法化したい意向。

そんな改革は連合依存の民主党には受け入れ難かろう。

維新・みんなが改革を引っ張る姿がみえてきた。

与野党激突、何でも反対だった国会の様相も変わる。

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 成熟した政治を目指して数十年。

「反対・選挙」だけの野党ではなく、真っ当な野党がやっと日本に出来るのか?

 

国家も行政も一人の人でも、根源は「自立」だと思う。まずは、ここから。