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独り言

日韓併合 韓民族を救った「日帝36年」の真実2

崔基鎬:加耶大学客員教授

 

李朝を隣国において、1868年日本は明治を迎えます。

当時の世界は強いものが弱いものを食う時代です。日本にとって清もロシアも大国です。

その力が、清の属国になっていた李氏朝鮮、すなわち朝鮮半島から日本にやってくるという危機感が日本にありました。だからそれを防ぐために日本は、朝鮮としっかりと手を結ぶ必要があったのです。  

 

そこで1876(明治九)年二月、李朝と「日朝修好条規」を結びます。

それは李氏朝鮮に、独立国家であってほしいという願いがありました。

それが第一条にある「朝鮮国は自主の国」という言葉に表れています。

これはきわめて重要な意義を持っています。  

 

しかしそうした清と朝鮮との主従関係を断ち切ろうとした日本の狙いは、実際その実現はほど遠く、民衆は相も変わらず、塗炭の苦しみを味わいつづけていたのです。  

1897年、李朝は国号を「大韓帝国」とあらため、年号を「光武」とし、王を皇帝と称し、表面的には510余年ぶりに明・清の束縛を脱し、独立国家を形成したのですが、清の保護下にある李朝の専横は変わるところがありませんでした。それは近代化と自主独立の道を拒否しつづけることであり、列強が蠢くなか李朝の存在は、東アジアの情勢に不穏な種を宿していたことになるのです。  

1904(明治37)年、日清戦争に次いで日露戦争を控えた日本は、こうした朝鮮の惨状を見かねて、目賀田種太郎(1853~1926年)を財政顧問として派遣し、日本からの財政支援をもとに、李朝をまともな国として立て直すという態勢がようやく緒につくことになります。  

目賀田財政顧問と総監府は、朝鮮の歳入不足分を補填するために、日本国民の税金から、大韓帝国政府に無利子、無期限の資金「立替え」を実施したほか、直接支出で援助しました。  

例えば1907年度、朝鮮の国家歳入は748万円しかなく、必要な歳出は3000万円以上ありましたから、その差額は全額日本が負担しています。1908年には、これがさらに増えて、合計3100万円という巨額の資金を日本は支出しています。  

総監府時代の四年間に、日本政府が立て替えた朝鮮の歳入不足分は、1428万円にものぼっています。そればかりではなく、司法と警察分野などに日本政府が直接支出した金額は、立替金の数倍、9000万円に達しています。  

 

現在の朝鮮・韓国の歴史では、このような日本の特恵的支援には一言の言及もありません。

そして侵略だけを強調していますが、これがいかに偏狭な歴史観であるかということが分かると思います。それら詳しい数字については本に書きましたが、日韓併合によって、搾取されたのは、韓国・朝鮮国民ではなく、日本国民であった事実を認めるべきでしょう。

 

 

 

韓国では、親日派という言葉をつかって政敵を糾弾する動きがあります。

しかし、そもそもおかしいのは親日派という言葉です。

戦前から東京にいた私は、年に1~2回はソウルとか当時の平壌に行きました。

その当時の韓国人は日本人以上の日本人です。

劇場に行くと映画の前にニュースがありましたが、例えばニューギニアで日本が戦闘で勝利をおさめたという映像が流れると、拍手とか万歳が一斉に出ます。 私は劇場が好きで、日本でも浅草などに行って見ていましたが、韓国で見るような姿はごくわずかです。韓国ではほとんど全員が気違いのように喜びます。それは当時としてごく普通の姿ですから、特別に親日ということではありません。

だから基本的に親日派という言葉はないのです。それを無理やり「親日派」という言葉のレッテルを貼って糾弾する。それが今の韓国で、政治的にやられていることです。  

 

レッテル貼りは日本でもよく行われていることです。

例えば、右翼、軍国主義、戦争美化というような言葉がそれです。

そういう言葉を発して思考を停止させ、悪いという印象を与えるのです。

要は、政治的に自分達と違う相手に対し、または対決する相手に対し、親日派というレッテルを貼って非難する。しかも本人だけでなく、その親とか祖先とか、全てを否定してしまうのです。  

 

戦争が終わってマッカーサー司令部が日本人を引き揚げさせたときには、向こうの人は別れを惜しんだものです。それが実情です。

ところが亡命していた者が海外から帰ってきて、列強の餌食となっていた李朝末期の朝鮮とその住民を救うために、当時の日本と併合させた賢臣(李完用など)の働きをなんら評価することなく反逆者だと言って非難しました。  

彼らは終戦から三年経った一九四八年、法律を作って裁判を起こし処罰するということをやりました。しかし親日派というのは、その場で生きるために、誰でも一緒に努力して仕事をしただけであって誰も処罰する人はいなかった。  

ただ、堕落した民族を復活させる方策を論文に書いた李光洙とかはやられましたが、それ以外にはいませんでした。だから親日派の裁判は、歴史的に一応終わっているのです。だから今さら親日派といって非難するのはおかしなことなのです。

でも、そうしないと自分たちのやっていることが正当化できない。そういうことです。

 

というのは、例えば北朝鮮から逃げてきた人が、日韓併合の時は経済は発展して私達は幸福だったというように、現体制に対し批判の思いがある。朝鮮戦争では金日成馬賊みたいなソ連のスターリンらがやってきて、みんな強盗された。それで数百万名が命を失い一千万離散家族となっている。そうした不満の気持ちが国民にはあるのです。

 

その批判をかわすために、日本を悪く言って自分たちの立場を守ろうとする。親切で人のいい日本人という印象を、国民の意識から無くすために指導者は反日を煽るわけです。

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つづく・・・。