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独り言

浅沼稲次郎:社会党

昭和34年3月、社会党書記長として北京入り、中国外交学会を訪問した。

共同通信によれば、そこでこうあいさつした。  

「米国は日中共同の敵だ」「社会党は国内では資本主義と戦い、外では米国の帝国主義と戦う」  

新聞の扱いは大きくなかったが、自民党が抗議の電報を打つなど、大きな騒ぎとなった。

当時、世界は東西冷戦の最中にあった。その中で日本は自由主義圏で生きていくことを選択していた。

2年前に首相となった自民党の岸信介は、日米安保条約を改定、米国との同盟関係を強固にしようとしていた。 そのことを国内で批判するのならともかく、共産党独裁の国と一緒になり同盟国を「敵」呼ばわりされてはたまらない。後ろからタマを撃たれたようなものだった。 しかし浅沼は「米国の政策を批判しただけだ」として発言を取り消さない。それどころか社会党、特に左派は浅沼発言を熱烈に支持した。  

 

翌35年3月の委員長選挙では、もともと右派だった浅沼が左派に推されて当選する。

社会党の「反米親中」路線が定まった。そして学生運動や労働団体を「反米」であおり続け、

歴史に残る「安保反対闘争」を巻き起こした。  

ここまでは社会党を使って日本国内の「反米」世論を高め、日米の間にクサビを打ち込むという中国の戦略通りに見えた。だが社会党の「反米親中」が、多くの日本国民に支持されていたわけではなかった。  

この年の11月に行われた総選挙では、安保反対の盛り上がりや10月の浅沼委員長刺殺への同情もあって、社会党有利とみられていた。だが結果は前回選挙より20議席以上減らし、自民党の圧勝を許した。  

それでも社会党は中国に利用されていたことを一切反省せず、国民から見放され、

社民党は今や国会議員6人という極小政党となった。  

 

それから半世紀余りがたつが、先月訪中した元首相の鳩山由紀夫氏は

尖閣は日中の係争地」と中国側に寄り添う発言をし、中国各紙に「称賛」をあびた。

社会党委員長の村山富市元首相も北京で、先の大戦の要因を日本の「侵略」と決めつけた自らの

村山談話」を「大事にしていきたい」と述べ、これまた中国側を喜ばせた。

歴史の教訓に学べない、こりない人たちである。

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歴史を勉強すればそこから真実が見えてくる。

「歴史」は個人の思想などを絡めないで事実だけを羅列して行けば良いと思う。

歴史観はその後の話。遠い(離れた)所から見れるようになれば見えてくるような気がする。